お昼休憩のあと行ったのは
縫いの池(白石町)
白石町は田んぼがでーんと広がっていて
山のきわに民家が集まっているところをくねくね入っていくと
とつぜん現れました。
なんだこの神秘的な風景・・!
二本のメタセコイア、銀杏、クスの木が、シンメトリーに生えています。
それが水面に映って、いっしょにいた宮田君も「アンコールワットみたいやね!」
弁財天さんの神社があります。
この池の水は湧水で、古くから人々の暮らしに使われてきたそうですが
昭和30年頃に、大量の地下水を飲料水と農業用水として汲み上げるようになって
水が湧かなくなって、池は枯れてしまったそうです。
それから40年。
地下水の汲み上げがなくなった2001年4月頃、再び水が湧き出てきたそうです。
住民の方たちは、水が枯れてしまった池を
潰して駐車場にしようかとか、いろいろ考えたそうですが
潰さなかったからよかった、とおっしゃっていました。
ちょうどこの日は池のそばの公民館で
おじいちゃん達がグランドゴルフの打ち上げの宴をひらいていて
島谷さんとの再会に、お互いすごく嬉しそう。
おじいちゃん達みんな超フレンドリーで
私たちにも、あがんなさい!食べんしゃい!どこから来たね?!とグイグイ話しかけてきてくれます。
ちなみに、島谷さんはここで何をされたんですか?って訊いたら
「勇気づけました。」だそうです。(笑)
湧き水が出はじめた時に
スゴイですよ!素晴らしいですよ!と励まして、このことを他所でも話して紹介して。
でも大事なことですよね。
自分たち(の地域)がもとから持ってるものの価値ってなかなか気が付けないけど
よそから来た人が褒めることで、自信が持てる。
おじいちゃんたちが、いいところやろう〜!と、この池を誇りに思っているのが感じ取れました。
「もうちょっとしたらまた来んしゃい。紅葉してキレイかけん!」
シンメトリーの銀杏は鮮やかな黄色になるんだろうな〜。
ツアー最後は
石井樋(いしいび)
(大和町)
ここはスケールが大きすぎて、カメラにも収まらないし
ここのすごさをどう伝えたらいいんだろう・・
ここも成富兵庫さんがその昔造られた、治水と利水を兼ねた事業で
350年もの間ずっと、佐賀城下に水を送り続けてきたそうです。
昭和35年頃から一時使われなくなっていましたが、2005年に復元されたそうです。
背振山から有明海に流れる嘉瀬川。
石井樋は、この川から田布施川に水を分ける井樋(水門)のことですが
洪水を受ける遊水地と堤防、流れを緩和する構造物、
砂を取り除いたきれいな水を送るための構造物など
さまざまな工夫が盛り込まれているこの複合施設?全体の呼び名にもなっています。
まずこの堰で、水をせき止めて
堰にぶつかり、逆流した水はこちらへ導かれます。
向こう側の細長く飛び出ているのが「象の鼻」で
砂を多く含む水を、川の中央に押しやっています。
で、堰にぶつかった水は逆流して
象の鼻の内側へ入り
手前の「天狗の鼻」との間に導かれながら井樋の方に送られます。
この形は急な流れを緩やかにするための工夫だそうです。
象の鼻の付け根のところは一段低くなっていて「野越」(のこし)と呼ばれます。
洪水で水が増水したときは、水がそこを乗り越えます。
乗り越えた水と、逆流してきた水がぶつかって、流れの勢いが弱まります。
平常時は、水が堰にぶつかって流れが逆流することで、川の砂が川底に落ち
洪水時は、野越を越えるときに、砂の混じらないきれいな水だけが越えていくというしくみ。
砂が多く混じる嘉瀬川の水を、飲料水としてきれいにして送るための工夫です。
↓図解(クリックして大きくなります)
↓これが分けられた水を田布施川に流すための「石井樋」
手前が復元された昔の石井樋
向こうにあるのが現在の井樋
必要な分を取って余った水は、また本流に戻されます。
最後に水ものがたり館に入り模型を見ながら石井樋のおさらい。
床一面の大きい佐賀の地図があって
ここで分かれて、遠く離れた佐賀の街まで送るんだね〜〜!
と感慨深く眺めたり
石組みのレプリカも!
土木萌えにはたまらんですヨ!
昔の石井樋の絵があって、今も石井樋を囲む公園になっているけど
昔も桜の花が咲いていて、茶屋があって、人々が憩っているようすが描かれていました。
島谷さんがそれをさして、
「これですよ。こうしたいんですよ!」
「わ!いいですね!これ」
「やっぱ団子屋すよ!」
「うん、団子屋だよね!」
と、ワクワクは続くのでした。。