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2016年08月09日

みえないせかい

前の日記で
スピリチュアルって怪しいって書いて
ちょっと考えてみたら

わたし
怪しいのもオカルトも


けっこう好きやん

って、


怪しい の線引きがすごく曖昧なのが気になり始めた。



タロットカードとか今でこそやってないけど
昔学生の頃はハマってて
友達がやって〜って部屋に訪ねてくるくらいだった。


もし誰かが、やったげようか?っていうなら
やってやって〜♪って飛びつくよ。
だって面白いもん。


守護霊とか前世とかUFOとか、そういうはなしも
自分から追求はしないけど
おもしろがって聞いちゃうよ。
信じるとか信じないとかより
おもしろいと思えば聞くし
そうでなかったら聞かないし。

(ずっと以前ある方から
前世はエスキモー、犬ぞりに乗ってて
たくさんの犬を手なづけてるのが見えるって言われて(笑)
その時はまだ犬と暮らしてなかったけど、
そのイメージが妙に気に入ってました。)




で、わたしにとってはぜんぜん怪しくないことでも
人から怪し〜って思われるのがやだなーって思ってた
ただそれだけでした。
スピの方々、失礼しました<(_ _)>



いろんな占いやメッセージみたいなものでも
おもしろいのは
結局は
自分の中にもともとあるものが反応して
そうそう、あたってる〜とかなるわけで
自分の潜在意識を覗くための
ツールだと思う。




で、何がホンモノ(本物も偽物もないとおもってるけど)で
何がイカンのかって
ジャンルではないなとおもいます。



例えばどんなジャンルであろうと

今の自分から目をそらせ、自分でないものになろう(ならせよう)とするもの
存在の本質へ向かうのとは逆方向の、幻想の上塗りをする(させる)もの
人を不安にさせて何かを信じさせようとするもの

そういうのはイカンですね。



人の意識のなかで自覚できる顕在意識と呼ばれるものは
全体の10%だったか15%だったかで
あとは潜在意識で
そのさらに深いところに超意識でしたっけ?そんなのがあって

それ考えると
たぶんこの現実って思ってる世界も
目に見えてるのは10%だか15%で
あとは見えてないのがほとんどで
見えてないところが先に動いていて
その結果が見えてるのだとおもいます。



微生物、しかり
おもい、や

エネルギー・・
大気
土の中




すでに ことは起こっていて
いろんな要素がいろんな振る舞いをして
結果現れてるのが
この見えているセカイ


そういうのをふまえて
実生活みてみると
とても
おもしろいです。



posted by egri at 08:17| Comment(0) | 日記

2016年08月07日

探求のはじまり

最近
内面的なはなし
いわゆるスピリチュアル的なことばかり書いているので
いつも読んでくれていたらしい兄から
おまえだいじょうぶか??(へんなのにひっかかってないか?)
と心配のメールが来ました。

あは (´>ω∂`)


そういうふうに思われるのがこわくて
いままで書かなかっただけで
前からこういうことに興味があったのだよーって
返事したのですが

そうなんです。


スピリチュアルという呼び方には
ちょっと抵抗がある。

だって

怪しいもん。




「視えないせかいのはなし」

ではあるのだけど

いろんなのがあって
マヤカシ、オカルトのたぐいも
いっしょくたに同じカテゴリに入れられちゃってる。
だから一緒にされたらやだなーって
人目を気にして
あまり出してこなかっただけです。



わたしが興味をひかれるのは
禅の世界観です。

禅って
宗教ではありません。

(宗教に対しても
アレルギーがある人が日本人特に多いですね。)



「ここではないどこかに理想の境地があって、そこを目指す」ようなキラキラしたものではなく

徹底して、今・ここ に在り、
ものごとの本質を観ている。真理を観ようとしているのが禅だとおもいます。

禅は「教義」ではなくて「在りよう」です。
どんな在りようかっていうのが言葉にできないところなんですが

あるがまま、とか、悟りとか、空とか言われるけど
それは大仰な特別なことじゃなくて
今のままでそのまんまでOKで
ただあるがままに今こことともにありますってこと。

それを知識として知ってるんじゃなくて
そうあるってことだから
言葉にしようとした途端ちがうものになる。
つかまえようがない。
でもそれはいつもここにある。



だから何かすること、あるいは何もしないこと、によって
その境地に入る(入る、が適当な言葉かわかりませんが。成る、還る、、?)のが禅です。

何かすることによって入ろうとするものが
茶道、華道、剣道、書道、香道、、、など。道のつくものがそう(らしい)です。
(今はスポーツになったり、形式的になって違ってきてるものもしれませんが、
はじまりはそうだったらしいです)

そして、何もしないことによって入ろうとするものが、瞑想です。





私は固有名詞や人の名前がさっっぱり覚えられないタチで
いろんな知識を得ても、いつもニュアンスだけしか残らないので
学術的なことは書けませんが


お経にも書いてあるとおり
この世は苦です。

仕事だって人間関係だって健康だって、現実は自分の思い通りにいきません。
まずそんなことが書いてあります。

なんとかうまくコントロールしたつもりでも
今度は天災だ事故だの、トラブルに巻き込まれたり・・
それに生まれたら誰だって必ず死に向かってるし・・


私は35の時にそれを実感しました。

「ほんとそうだわーーー
昔の人も今の人も変わんないたぶん
人生って苦だー」 と

寝て起きて食べて排泄して繁殖しての繰り返し・・・
なんで生きるんだろ・・
服着て脱いで風呂入ってまた着て着替えて・・
とか、、めんどくさー・・・

あぁ、また朝がきてしまった・・・・
っていうどんよりとした目覚めが
来る日も来る日も続きました。

死ぬ気もないけど生きるのがキツくて面倒で
消えてしまいたい。。

表向きはふつうにふるまっていましたが
こころは固く閉じた状態で
気力も好奇心もなく
体は重く
なんとか日々をやり過ごしてた。


でもそれが1年くらい続くと
いいかげんクサってることにも飽きてくるんですね。

ある時ふと

幸せって何?
悩みがあるせいで幸せじゃないとしたら
この悩みがなかったら幸せ?
なにその条件付けは?おかしくない?
そんなことでコロコロ変わるのか?
幸せってそんな了見狭いのか?
って
自分にツッコミをいれたんです。

ギュウって固くなってたこころに
ヒビが入った瞬間でした。


そして、このままではやばい、と
空虚感から這い出したくて
いろんな本や情報を読みあさりました。




そのなかで
内容は覚えてないけど
マヤ暦に関しての何かを読んでて

もしかして、私は今まで「私が」「自分で」生きてきたって思ってたけど、、、、
違ってた、、、、?



その気付きは
暗闇の中でかすかに光が射した感じがしました。



人生は思い通りにいかない
物事も自分の心さえもコントロールできない
っていうのが古今東西、苦なんだけども
そもそも
コントロールできると思ってることじたいが勘違いじゃ・・?


それで
なんだかバカバカしくなってきて
笑ったのでした。




そのころ描いた絵
「旅するもじゃもじゃ君」

旅のはじまりの予感のシーン。

探求の旅。

R1289168.JPG



なんだかとりとめのない長文になってしまいました。

今日はこの辺で。。。



posted by egri at 08:43| Comment(0) | 日記

2016年08月03日

瞑想のこと

10日ほど前に
瞑想レッスンにいってきました。

鹿島にいるときは農業師匠のおうちに
瞑想場があって、ヴィパッサナー瞑想会があってたので
ときどき参加していましたが
ヴィパッサナーは
私にとってはハードな瞑想でした。

でも瞑想はずっとやっていきたいものの一つでした。

今回行ってきたのは
いまここ塾の阿部さん夫妻がされている「NIKE瞑想」(ナイキじゃないよニケだよ)

なぜ瞑想をするのか、は
NIKE瞑想のHPで智子さんが
書かれているこの文章がすごくわかりやすいので
よかったら読んでみてください。

瞑想をお薦めする理由


で、思ってもみなかった体の変化を感じています。

智子さんも上の文章で書かれていますが

>と言うよりは、本来私たちに備わっている自然治癒力が、瞑想というカラッポの状態において自由に機能しだすのです。

これ、ほんとうです。
クラニオ(頭蓋仙骨療法)を習った時に
「瞑想みたいだな」とおもったのですが
今回瞑想に入るとすぐ
「あ、クラニオみたいだな」って感じました。

自分がもうひとりいたら自分で自分にクラニオしてあげるのに
って思ってたら、、

私の勝手な解釈ですが
瞑想はひとりクラニオとも言える
そんな側面もあります。

クラニオは施術者の手のひらに委ねることで
深いリラックス状態に入り
受けている人自身の自然治癒力が発動します。

NIKE瞑想はマントラという言葉(言葉ではないけど便宜上こういいます)の
波動に委ねることで瞑想状態に入っていきます。
深いリラックス状態です。
とても心地よいです。
眠りが深くなり
朝の目覚めが良くなりました。


それではじめて数日後から私の自然治癒力が発動しはじめたようで
ただ今、絶賛好転反応中につき
引きこもり中です。。




posted by egri at 07:00| Comment(0) | 日記

2016年07月23日

見たいように見ている

昨日 
久しぶりの友人からメールがあり
ドライブがてら、うちに来てみたいとのこと。

おお、おいでよー、と
道順を説明して待っていたら

それらしい車が
そろそろとうちの前を通りすぎていったので
「今、行ったでしょ、行きすぎだよ〜」って電話した。

もう一回、説明して
「もう、すぐそこよ〜」


で、そろそろそろ〜と戻ってきた。

「お、来た来た♪」

ってうちの中から見てたら

家の前でターンしてまたどっか行った。。????




なんで!?



また電話して呼び戻した。


「なんで?!着いてたのに!??」
「間違えたとおもったの?」



「なんか〜コンテナいっぱい積んである感じとか、
家が普通の農家みたいでいっぱい住んでそうやし
なんか女の一人暮らしに見えんやった〜(^_^;)」


「じゃあどんな家だとおもってたの?」

「なんか、もっとこうさー 箱型の小さめのー・・」

「それさー、○○のアタマん中のイメージたいね!」 笑

てかそんな近代っぽい家、この地区にないしー



人は解釈したいように解釈し
見たいように見るものだ。という
わかりやすい例を見せてもらったよー。(^Д^)

posted by egri at 00:18| Comment(0) | 日記

2016年07月21日

ワークの波及効果、なんか時間差で来ました。

昨日のワークショップ おもしろかったなー

濃ゆい会だったなー

あの、雑談のような時間、あのときキーワードがいろいろ出てたなー。

それが一日たってピシピシ来るんですよ。

ノックされてるんですよ。




それで今日は炎天下に草払機ブイブイかけながら

何とはなしに思い返していたら

自分で言った言葉に

いまごろになって

本当かよ?!
(##゚Д゚)

ほんとにそう思ってんのかよ?!
(##゚Д゚)


って問いが出てきて


長年、自分に嘘ついてきたというか

ある感情に蓋をしてたってことに


気がつきました。(゚ロ゚)(゚ロ゚)(゚ロ゚)



昨日話してた時点まで

それわからなかった。


昔、親の思想的な理由で
子供の私が寂しかったある出来事があったわけです。

親はきちんと理由を説明してくれました。

私は子供ながらに理解して、自分の要求を引きげました。
親がきちんと子供に対して説明する大人でよかった、とすら思ってました。


昨日そんなこと話して。



がしかし

草刈してたら出てきたんですよ。



「親の気持ちはわかった」


「けど自分はどーなのよ・・・?」


「私の気持ちはどうなのよ・・??」



戦争とか平和とか世の中とか
そんな話をされて聞き分けたつもりだったけど
ほんとうはね
そのとき私を見ててほしかったんだよねぇ。。。
ただそんだけだったんだよねぇ。。。


それ認めちゃったら


うっわーーー(ToT)(ToT)(ToT)


そしたら芋づる式に
その部類の(パターンの)
ゴミの蓋が開いた〜〜〜



「要求を聞き入れてもらえない私」
(見ててほしい、甘えさせてほしいという要求)



それが大人になってからの

「あぁ、またか
またこのパターンか。。_| ̄|○ 」

に、続いてるのが見えた〜〜〜


ひえーーーーー



私が信じてたとおりのことが起こってただけ。(信じてる自覚がなくても)




ワークショプの波及が翌日まで。


ひとつまたゴミ出しできて
よかったです。ヽ(*´∀`)ノ





posted by egri at 23:44| Comment(0) | 日記